陰陽思想は、古代中国の夏、殷(商)王朝時代あたりに誕生したと考えられています。
中国では、儒教や道教などに吸収されて日本のような「陰陽道」としての発展はなかったようです。
全ての事象が陰陽と木・火・土・金・水の五要素の組み合わせによって成り立っているとする陰陽五行思想、天文学、暦学、易学などとともに、飛鳥時代あたりの日本に伝来されたようです。
そうした知識をもとに、神道、道教、儒教なども吸収し昇華させたものが日本独自に発展した「陰陽道」のはじまりです。
初期の頃は、自然界の瑞祥・災厄を判断し、人間界の吉凶を占う技術として重宝されていましたが7世紀後半頃から、朝廷で重用されるのにともない陰陽師が現れはじめます。
平安時代になったあたりから、政治のみならず、天皇や公家の私生活にも影響を及ぼし始め、宮廷社会から日本社会全体へと広がりをみせ、日本独自の進化を遂げていきます。
この頃から、陰陽道は「占術」「呪術」「医術」の3つに大きく大別されることになります。
心浄術は、この中の「医術」の流れを汲んでいます。
江戸時代に入り、政治に影響を与えることはなくなりましたが暦や方角を占う民間信仰として「占術」の活動は日本社会に定着していました。
「医術」は、あまり表舞台に出ることはないけれど、時の権力者や必要とする人達のためにひっそりと、しかし着実に受け継がれていました。
その後、明治維新後に政府は陰陽道を迷信として廃止し、土御門家(つちみかどけ)の開いた福井県おおい町に本庁を置く天社土御門神道(てんしゃつちみかどしんとう)と、高知県香美郡物部村に伝わるいざなぎ流の2つを残し、歴史の表舞台から姿を消しました。
そんな中でも、密かに一子相伝で受け継がれ門外不出となっていた陰陽道の技術が途絶える陰陽家が増えてきたことで、家系以外の人に受け継がれるようになりました。
その正統な流れを汲むのが「心浄術」です。
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